縁側小噺 『夜の発光体』


縁側神保町化計画は、数年前からあった。田舎でもそのような場所を体現することはできるはずだ。縁側を始めたのも当時1番求めていた本に囲まれた場所が、街にも人にも私にも必要だと思ったからだった。実際に必要だったのかは分からないけれど少なくとも私には必要だった。
夕暮れから、空が色を失って縁側の中の白熱灯がぽっと色づき店自体が灯りになる時まで、縁側に人がいて、いつもはない美味しそうなカレーの匂いが満ちていた。場所を借してくれているまりさんがカレーを作ってくれ、Add.のあきさんのお母さんの美味しいチーズケーキの表面の色味にうっとりしながらそれをお客さんに出す。コーヒーなどを飲みながら各々本を開いている景色をみたとき、こんな景色をみたかったのだ。と夢みたいな気持ちになった。本は奥ゆかしくて奥が深い。みんなここに来たときだけは、その人自体がいつもより本になる気がした。
だからここでは信用できるのかもしれない。
賑やかだけどしっとりとした夜。
お客さんがみんな帰り、膨張が収まりがらんとした縁側にふと発光したものがひとつあるのを見つけた。
明らかに光っていた。
まさに檸檬の小説のように。
"いったい私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵の具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった紡錘形の格好も。
結局私はそれを一つだけ買うことにした。"
わたしはハッとした。もしかして…と思い檸檬の下をみると、やはり梶井基次郎の檸檬があった。高校の教科書で読んでからというもの、かなり好きな作品である。あの短い短編の中に私の中の鬱屈とした得体の知れないものが表現してあったのだ。
檸檬も、主人公が丸善の本の上に檸檬を置いて爆発する想像をしながら丸善を後にする描写で終わるのだけど、まさにそれだった。縁側は今や丸善と化した。檸檬を置いたお客は誰かわからず。2人ほど顔を思い浮かべる。
また、物語が現実に浮き出てきたのをみた。
"変にくすぐったい気持ちが街の上の私をほほえませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けてきた奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。私はこの想像を熱心に追求した。「そうしたらあの気詰まりな丸善も木っ端みじんだろう。」"
そしてこの檸檬の行方がどうなったかというのは、また別の物語である。
以前ならここで、綺麗に終わらせたかった強い気持ちがあった。その物語の始末を自分でしなければならない。その美しい爆弾の行方を考えあぐねていたと思う。
いつもその先があるのだ。
本の中では長く続く人生のほんの少しをきりとっただけで。
どうせ続くなら笑えるやつがいい。
ギャグみたいなもの。
この檸檬の行方は、
やっぱりこの世界はちょっと変で可笑しくて決して綺麗には終わらせてくれないんだなぁと思わせてくれるものだった。
この檸檬の行方は皆様のご想像にお任せするとして、ひとまず夜の小噺を締め括ることにする。
"何がさて私は幸福だったのだ。"
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