わたしごと日記 「異なり」


昔の人が手書きで紙に文字を書いているように、スマホで文字を打つことが自分の言葉と隔たりなく書けることに気がついた。パソコンだと妙にすました文章になってしまう。昔から思考の穴に入るのがすきだったけれど、こちらに来てから嬉しいことに時間があって、前よりぐいぐい勉強しはじめた。テレビがないからかもなぁ。

他人との暮らしは嬉しいことも悲しいこともどっちもあるけれど、あの好きなバンドの音みたいに調和を持った音ではないのにトータルしたら心地よいな。と思うことができていてなんだか楽しい。
それにしても積読がたまっていく。本屋でアルバイトをしているからついつい買ってしまう。『ベルリン上の空 ランゲシュランゲ』という香山哲さんの漫画の積読についての場面で、「先々の楽しみも持ちながら、今できることをやっていく」というコマがあり、わかるわかると頷いた。この漫画は本当におすすめ!久々に、家でゆっくりカフェオレのみながら読みたい…それ絶対幸せやん!買う!と思った漫画である。
丁寧な暮らしの本質とはこれなんじゃないか?と思う漫画。
話を戻すと、自らをほっておいたら自然と哲学とか、政治についての勉強を始めていた。今更ながら新自由主義について調べたあとに、中動態についての國分功一郎さんと斎藤環さんの対談が文字に起こされたものをよむ。意思決定支援は新自由主義的だと書いていて、ちょうど勉強していたことなのでわかりやすかった。
要するに自己責任ですよってことだ。これからの政治はどうなってゆくのか。
ミハイル・バフチンのpoliphony(多声性)という言葉もこれからのテーマになりそう。私自身、縁側を異なることで成立する居場所だと定義していたから、そこをもっと知って体現したい。
あと、最近都築響一さんが「死刑囚表現展」のことをTwitterなどで書いていて、久々に死刑のことを考えてみたり夫と話したりした。意見は違っても話すことが大事で、ただ一辺倒に悪いと決めて責めたてないことが大事だと改めて思う。
私自身の中にも悪は間違いなくある。
政治も凶悪犯罪も、広い視野でその人自身を見れば、環境や出会う人の影響も大きい。ならばどうして?どうしてこんな環境で生きなければならなかったのか。それは社会が負荷をかけて、歪みにいる人に被害がでているとも言える。その社会を作ってるのはわたしだ。となると決して他人事ではなくなる。そのわたしがすこしでもいい方向にいいことをしたり勉強すれば社会が変わってゆくのではないか。
その"いいこと"というのは俗に言う"いいこと"ではないから難しい。自分で考えて問うて導きださないといけない。食べたいお菓子を食べるとか、好きな歪んだ音を聴くとかでもいいと思う。わたしはナンバーガールとか、ザゼンボーイズとか向井秀徳的な音がすきだと改めて思った。ちなみに坂本慎太郎もすきです。
響くものも心地いいものも人それぞれだからこんなに沢山のものがここには散りばめられているのだ。だから自分のそれを集めていきましょう。そしたら自分以外の誰かにも優しくなれると思うから。
他者と自分は完全に違うからこそ、他者を尊重できる。とバフチンも論じたように。

この街で好きなのは、川べりで人々が寝転んだりテント張ったり、おしゃべりしたりトランペット吹いたりしている景色だ。真っ白い鷺が水浴びしていたり、鳶が空を旋回するのも。それをつい立ち止まってみているジョギング中の人を時折みる。走る足を止まらせる川べりの景色。だれにも干渉されない自由な景色。

それはそうと、お店を辞めるときに
「また概念上で会いましょう」とある人から言われた言葉が最近ずっと頭から離れない。哲学への切符だったのか、いやもうその電車には乗っていたはずだから、違う線に乗り換えるわたしへの花向けの言葉だったんだろう。
また成長してどこかの駅でばったり出会いたい。

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