わたしごと日記「いまここ」


またブレーカーを落としそうになった。
昨日の夜も何も考えず湯沸器を使ってしまいブレーカーを落として夫にお風呂で少し寒い思いをさせてしまった。
今日も炊飯している間に洗濯機を回してしまって、湯沸かし機が使えずコーヒーを我慢させてしまった。ああ。どうしてわたしはこんなにポンコツなんだろう。どうしてなにも考えないのだろう。考えなくてもいいことは考えるくせに。と自分を世界一の邪魔者!と思い、いかんいかん、愛してるよわたし。気をつけていこう。と鼓舞する。しかし寒くなってからブレーカーがよく落ちる。ブレーカーのせいにしたくてgoogleで調べたけれどやはり沢山ワット数を一気に使ってしまったわたしが悪いという分かりきった結果がさらに強固になっただけだった。
そんな日々の中、久々にニュージーランドにいる友人と電話した。自然のある生活をしている彼女は鶏やアヒルやロバと一緒に暮らしている。自家製の酵母でパンも作っているらしく、その子が作るパンは世界一美味しいだろう。
昔お互い一人暮らしをしていたとき、ご飯作ったけんたべこん?という友人からの甘い連絡にどんなにきつくても「いく!」とバスに飛び乗って友人の家へ向かった。そこには「最高のダラ〜」(ダラダラするの最高!の意)があるとわかっていたから。納豆とかご飯とか味噌汁とか友人が干したものとかとにかく全部がおいしかった。映画みてだらだらして唯一政治のことなど話したりしていた。今は友人はあったかい土地で、(まさに太陽みたいな子だからぴったり)自分にとっての豊かな暮らしをしている。なぜかニュージーランドでもミョウガなどとれるらしく、どこに行ってもミョウガ引き寄せるのすご!と笑った。でも友人にも色々心配はあって、そんな友人からしたらわたしも幸せいっぱいに見えるだろう。わたしも、色々あるけんねえ。と言っても謙遜みたいになってしまった。Wi-Fiのほんの少しのズレを恨んだ。もっと、その色々について話したかった。幸せと悲しみの間くらいの話を。雪が降り積もって寒いよ〜といいながらなれない雪かきをしているこちらと、友人から送られて来た青い海と汗が滲むような太陽の写真にはすごく隔たりがあって、それがとても不思議だった。
その写真のお返しに最近みたいい映画と音楽を送った。「WAVES」と「音楽」と「街の上で」は本当に良かった。WAVESのプレイリストも絶対気に入ってくれるはずだ。
本を主な生業としているのに本を勧めるのを忘れた。今は『日刊イ・スラ』を借りて読んでいる。韓国文学とわたしはどうやら相性がいい、いつも読んでいると文字が打ちたくなってくる。これが相性のよさのバロメーター。
写真に映るニュージーランドの夏を肌感覚として感じようとしたけれど、わたしの肌はすぐそこに佇む冷気をすぐに感じてしまい、つかめない。本当にわたしはわたしの感覚で生きているんだと思わされる。
友人が、離れても、今は離れたり会わない人ともまたいつか会えるもんね。
と電話口で言った。わたしも歳を重ねて離れてゆく寂しさだけでなくまた再会できる喜びも知った。今すれ違っているなと思ってしまったときの絶望感のあとにはゆっくりと氷が溶けて春がくるように過去の関係が修復されてゆく時間というものも存在した。だから連絡が今途絶えている人ともまたきっと会えるとどこかで信じて前向きに生きている。
会えない間は人生のネタを収集して、また会ってほんとばかやんーと昔みたいに、がははと膝から崩れて笑い転げる、その瞬間が頭に浮かぶから。それまでは、会えない時間をわたしはいまここで面倒臭い私と共にどうにかこうにか生きようと思っている。

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