ばあちゃんがきた

祖母は草取りが大好きなので、どこの草でもすぐに取る。
縁側にようやく来たというのに、まず草をみつけてしゃがみこむ。ようやく入ってきたらキッチンへ向かい、仕事をみつける。
出てきたら目に入った本の背表紙をきちんと揃えて、ようやく席についた。

私が山尾三省さんの『火を焚きなさい』を渡すと、端の方に座って背中を丸めて上品に読みだした。草取りしているときの逞しさとはまた違う上品さを醸し出す。大人になったり子どもになったり大雑把だったりきちんとしたり忙しい。最近はだいぶそれについていけるようになった。というか面白がれるようになった。諦めたというのか、、。そう思ってから毎日が愛おしい。

途中まで読んで、「心の火を焚きなさい」とぽつり。書いてあった?ときくと、いや、これはわたしが言った、と。家ではそんな話はしないので、わたしは、なんと、いい言葉を聞けたと思った。祖母の中の詩が身体の外に放たれたのだ。

しかし家に着くともう何を読んだかも覚えてなくて、でも私は苛々したり絶望しない。留めておけないことって何か意味がある。

この日は全てが万事おっけいだと思った。

外に出かけるのも面倒くさがる祖母が、なんと隣の人を誘い、また縁側にきた。
気に入ってくれたようで何より。
今日も今日とてこたつでぐーぐーねている。

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