老人と暮らすことはエチオピアで暮らすようなこと

『うしろめたさの人類学』を読んで、思った。この、スムーズにいかなさ具合は、老人との生活ににている!
感情的な毎日。思うようにならない世界。だけれど、ひとたび楽しめると、すごく面白い世界。私は、介護をして鬱のようになっていたけれど、それはもしかして人間らしさの塊だったのかもしれない。違う感覚へのワープ。喜怒哀楽全てが毎日爆発していた。
それは、今、自分でちゃんとそれを受け入れられるから言えるのであって、その只中ではそうは思えなかった。でもきっとそのあとに、面白い経験をした、と言えるし、世界の範囲が広くなったように感じる。世界の手触りが違う。

エチオピアから日本に帰った著者の、この日本のある種の冷静さに気づく場面。
エチオピアでは、物事が全てスムーズにいかない、だから冷静なはずの自分が感情的になることに驚き、でもそれが嬉しいとあった。
そのエチオピアと日本の行きつ戻りつで気づけることがある。違う経験から違う視点を確立する。私は、祖父の死から、自分の生に戻って気づいたことが沢山ある。今もまだ、毎日元気な祖母との生活の中を行きつ戻りつしている。

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